新田クリニック 院長 新田長生コラム

医療法人社団 健成会
新田クリニックの院長 新田長生(整形外科医)
大平山不動寺住職 新田光照 のコラム。
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生きる
年が改まり、2007年が皆様にとって輝かしい実りのある年になることを冒頭にお祈り致します。
 さて、昨年はどんな年だったでしょうか?1年を象徴する一文字は「命」でしたね。確かにメデイアを通じて、親が子を殺め、子が親を殺め、多くの子供達がいじめを苦に自ら命を捨て去り、ある国では核兵器での大量致死兵器を開発し、世界各地でテロリストが無差別殺人を繰り返し・・・、毎日毎日こんなことばかり耳にしていたように思えます。昨年における命の一文字は奪い去られた、捨てられた、蔑ろにされた「命」に他ならないものでした。今年は同じ「命」でも生きる「命」にしていかなくてはなりません。
 以前、四苦八苦のお話をコラムに載せました。人間の苦しみは「生苦」つまりこの世に生を受け、生まれることから既に始まるのだと。それでは、何故人は生きるのか?この問いに答えはあるのでしょうか?あるお坊さんは
「何故生きるのかと悩み、生きる目的を考えながら、その答えを探しに生まれてきたのだ。」とおっしゃいました。私も同感です。が、あまりにも抽象的かつ宗教的なことばで難しく理解しがたい人も多いのではないでしょうか。私はお寺での説法の時に、参拝者にお話しするのは、「生きる」とは「人のために生きること」「社会のために生きること」である。と申しております。決して自分自身のためだけに生きているのではないのだよと。自分中心に命を考えたらその瞬間から、人より幸せに、人より健康に、人より裕福に、人より長生きして・・・と生きることが欲望の一つになり、その欲望自体が苦しみとなり、生苦の苦しみから逃れられなくなってしまうのです。誰しも人間生活の中で人にお願いされたり、協力を促されたりしているはずです。逆に自分だけでは生きていけませんので、人にお願いすることも当然あるでしょう。仕事もそうです。人のため、社会のためになっていない仕事なんてありません。自分に与えられた役割を果たすために日々努力し、人にしていただいたら感謝して、人は生きているのです。健康・病気に関しても似たようなことがいえると思います。
健康の「健」は「人」を「建てる」のです。人のために生きてこそ、自分も健康でいられるのです。同じ病気・病状であっても、自分の病気を自分中心に考えながらただ辛い、苦しいと生きている人と、あの人も同じ病気で苦しんでいるんだ、自分ならその苦しみがわかるから少しでも理解してあげられるな、話だけでも聞いてあげればあの人も少しは楽になるかな?と考える人とでは、同じ病気・病状のはずなのに心と体の健康度合いは雲泥の差があると思うのです。 
    人のために生きてこそ、尊い命が生かされるのです! 
 
            
大平山不動寺住職   新田 光照
| 住職:新田光照のコラム | 09:00 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP
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